吉野ケ里は、およそ50ヘクタールにわたって残る弥生時代の大規模な環濠集落(環壕集落)跡です。
現在は吉野ケ里歴史公園として整備されていますが、その規模の大きさと復元遺構の充実さに驚きです。
吉野ヶ里遺跡の最大の特徴が集落の防御に関連した遺構。外壕と内壕の二重の環濠、壕の内外には木柵、土塁、逆茂木(さかもぎ)といった敵の侵入を防ぐ柵。また、見張りや威嚇のための物見櫓など、集落同士の戦乱があった時代が偲ばれます。
ここは、あの卑弥呼の邪馬台国だったのではと注目を集めましたが、残念ながら証拠は見つかっていません。
吉野ケ里集落は、福岡県境である標高1,000メートル前後の脊振山地南麓の丘陵地帯、台地の先端に築かれた。縄文時代は海に近く、弥生時代も近くまで干潟とか湿地帯だったのだろうか。
※左図は「地理院地図_土地条件図初期整備版」、右図は「Flood Maps 海面上昇シミュレーション(+5m)」